バレエの歴史
発祥はルネッサン期のイタリアで、フランスで育ちロシアで発展しました。バレエ好きのメディチ家の娘・カタリーナがフランス王・アンリと結婚したのを契機に、イタリアのバレエはフランス宮廷でも人気となりました。続いてルイ14世が自身も踊るような大変なバレエ好きだったために更に発展し、バレエの5つのポジションが確立され、基本が成立しました。 1738年には現在も有名なワガノワ・バレエ・アカデミーがロシア初の帝室音楽演劇舞踏学校として設立され、これからおよそ100年後に現れたマリウス・プティパによって眠れる森の美女、くるみ割人形などが振り付けられ、歴史に残る不朽の名作はこの国で生まれました。マリウス・プティパは、チャイコフスキーと組んで、クラシック・バレエを確立しました。また、衣装にも大きな変化があり、バレエ技術が更に飛躍的に発展しました。
日本のバレエの歴史
初めてクラシック・バレエが日本に入ってきたのは1912年(大正元年)で、 帝国劇場に招待されたイタリアのジョバンニ・ビットリオ・ローシーが専属俳優にバレエを教えました。 彼の弟子には石井漠・高田雅夫・沢モリノ・高木徳子などがいましたが、すぐには広がりませんでした。 日本のバレエの歴史はわずか90年ほどです。